ハンペン事件
先日、本屋のレシピ本の棚の前で、がっかりしました。
「彼の家に作りに行きたい!純愛ごはん」
「彼に作ってあげたいガッツリおかず」
「またあれ作って。と言われる幸せごはんレシピ」
そこに並んでいたレシピ本では、本当の意味で男を幸せにはできないと思ったからです。
なぜなら私は、
火が完全に通っていない卵が苦手なのでトロトロオムライスはNGですし、
味噌ラーメンにさえもドバドバ入れてしまうほどの大のお酢好きですし、
みんな大好きなエビによって全くウキウキしないエビ不感症だからです。
人の好き嫌いは千差万別なのです。
しかし、
そのことを分かっているレシピ本は一冊もないのです。
美味しそうな料理を作るための美しいレシピを紹介することに集中しすぎていて「男の胃袋をつかむ」という肝心なゴールを見失っているのです。
これらの本には、本来あるべき大切なものが抜け落ちているのです。
それは、
「何より大事なのは、レシピ通りに作ることではなく最終的にはあなたの目の前にいる彼氏自身の好みに合わていくこと」という料理で人を幸せにしようとした時に、失敗しない温泉卵の作り方なんかより100倍大切な心構えです。
このことに少しでも触れているレシピ本が皆無なのです。
結婚して半年ぐらいが経った夕飯の時、その事件は起きました。
残業を終えてクタクタに疲れてお腹ペコペコで帰ったある日、嫁は気合いを入れて揚物をしてくれていました。さらに、ダイニングテーブルには「ガッツリおかず」というタイトルのレシピ本。
僕は期待に胸を膨らませつつキッチンに立つ嫁に向かって「ただいま~」と声をかけて、スーツを脱ぐため別の部屋に行きました。
準備が整い、ついに待ちに待った夕食です。目の前にあるのはこんがりキツネ色の三角形のフライ。
私は、大きな口を開けてかじりつきました。
次の瞬間。
私は、わが目(というかわが口)を疑いました。
フライの中身はハンペンととろけるチーズのみだったのです。
食感を例えるなら、
「ストレートだと思ってバットを強く握ってホームランを狙いにいったら、実は、手元で落ちるように曲がる切れ味鋭いスライダーで、肩が脱臼するんじゃないかってくらい豪快に空振りをした感じ」です。
「中身、ハンペンとチーズだけなんだ?」私は恐る恐る聞きました。
「そうだよ、保育園の給食で人気のメニューだよ」と嫁。(嫁は保育士です)
4歳の年中さんと32歳の中年手前サラリーマンが同じ味覚を持ち合わせていることなんてあるのだろうか。
しかも、確認してみると、せっかく揚物をしたのに揚げたのはこの1種類のみ。残念ながら、嫁には、大量の油での揚物という稀有な機会への敬意がなかったのです。
群馬の実家の母なんかは揚物となると、天ぷらから始まりフライまで、冷蔵庫のあらゆるものを次から次への揚げまくり、油を真っ黒にすることに一心不乱でした。
そして、私は、悩みに悩みました。
あんまり料理が得意ではない嫁が、遅くなった私の帰りに合せて頑張って揚物をしてくれた。「美味しいよ」と笑顔で感謝の気持ちを伝えるべきだ。
一方で、ハンペンチーズフライは、もう空気を食べているかのようにフカフカで、明らかに白飯には合わないし、ペコペコな胃袋を満たしてはくれない。せめてチーズと一緒にハムでも挟まっていればオカズになるのだが・・。
ここで、ハンペンチーズフライを笑顔で受け入れてしまったら、向こう50年間、ハンチーフライが我が家の晩ごはんにローテーション入りしてしまう。
いったい、どっちが正解なんだ。
(そもそもダイニングテーブルの「ガッツリおかず本」はなんだったんだ?)
この日の夜、結果的に、私はリビングのソファで寝ることになりました。「ハンペンフライ定食にするならば、せめて肉系のものを挟むべきだ」という私の言葉が引き金となりケンカが勃発したからです。
今も語り継がれる「2014年 ハンペン事件」です。
この葛藤は男なら誰でも一度は経験する「彼女メシあるある」ではないでしょうか。感謝の気持ちがあるからこその葛藤です。
その上で、私がこの夜、欲していたのは分厚いロースハムが挟まったハンペンフライでも、ハンバーグのようなひき肉がたっぷり詰まったハンペンフライでもありません。
この時、男が心の底から欲しているのは、意見を吸い出してくれる呼び水となる暖かい言葉なのです。
「どう、美味しい?」
「もっと、こうしたほうがいいっていうリクエストある?」なのです。
だから「男の胃袋をつかむ」ことが最終ゴールであるこの手のレシピ本には、料理の感想を聞き出すための、コピーして繰り返し使えるこの手のアンケート用紙の巻末付録があってほしいのです。