吉祥寺のスタバで学んだこと。

吉祥寺駅井の頭線の改札を出てすぐ左にあるスタバで仕事をしている。

 

大好きな街、吉祥寺の駅がリニューアルして、ここにスタバが出来たのは、知っていて、なんて素晴らしいロケーションなんだと注目していたが、来てみるのは、2回目。

 

店内に席が20席くらいあって、

駅構内の空間にもベランダ的に席が20くらいある。

 

 

 

12時過ぎに来たときは、3分の1くらいの席が空いていて、意外と穴場なのかと思った。

 

駅の中の行き交う人達が1階下に見渡せる店内の窓際の席に座った。

 

仕事を始めて、20分くらいして、異変に気付いた。

全く快適でなかったのだ。

 

ものすごい勢いのエアコンが直撃していて激寒だったからだ。

最初にいた定位置は、夏休みに小学生が扇風機の前に座って離れないくらいの

それはもう完全なる直撃だったので、20cmくらい椅子をずらして直撃を免れたが、その後10分ともたなかった。

 

前の人が席を立つのを発見したその瞬間は、実際に小さい声で「ラッキー」と口にしてしまうほど、良さそうに見えたその席から、離れるという決断をしなければならなかった。

 

駅構内の外空間にあるベランダ席は、最初は、暑そうだから避けていたがそこに移動することにした。あまりに体が冷えていたので、温かくて心地良かった。

 

ただ、ここでもすぐに異変が襲ってきた。

 

まず、キラリナ(京王がやっているルミネのような駅ビル)のポイントカードの10倍ポイント入会キャンペーンが最終日だったのだ。

非常に仕事熱心なコンパニオンのお姉さんのアナウンスが絶えずダイレクトに聞こえてきて、激うるさい。

 

そしてもう一つ。

スタバの店内とこのベランダ席をつなぐ大きな重たいドアが開閉する度に、

「ギィ~~~ギィィ~~~」と大きな音をあげて、こちらもまた激うるさい。

こっちは、お姉さんの美声と比較して、とても不快感のある音だ。

30秒に1組のペースで通るので、集中できないどころか頭がおかしくなりそうだ。

 

しかも、ドアに一番近い席に座っているために、

両手をコーヒーでふさがれた女性がドアノブをヒジひねって少し開けられたまではいいけど、あまりのドアの重さに、そのあと、左足一本だけではドアを引ききれなかったり。

テンションの上がったチビッ子がお父さんを追い越して走ってきて、一人でドアを開けようとするが、これまた重すぎてドアを開けきれないときなど。

「あれっ、この場面は、僕手伝ってあげたほうがいいのかな」って軽く腰を上げたら、

直後に、店員さんやお父さんが現れたりして、自分が不要になったりする。

何回か繰り返している心と身体のこの動き。を余儀なくされる。

(そのくらいすでに全く集中できていない)

 

というわけで、僕が運良くつかんだと思い込んでいたこの2席は、

とても問題のある席だったのだ。

 

このブログを更新したら、すぐにスタバを出ようと思う。

 

しかし、ひとつ思ったのは、

「相手の気持ちに立つというのは本当に難しいということ」

 

スタバの店員さんもお客さんの立場に立って、お店づくりをしていると思うけど、

僕が今日座った2席に、(小さいことではあるけど、集中しようとすると気になってしまう)こんな不快感が潜んでいるということは、理解していないだろう。

 

それは、どちらも30分間座っていないと分からないことだし、

たとえ店員さんがそれをやったとしても、自分の財布からお金を払ったという気持ちは、

完全には体感できない。

 

そして、このスタバの40席のそれぞれに、それぞれの良し悪しが存在するはずだ。

 

 

 

4月に子どもが生まれて5カ月が経とうとしている。

毎日の子育てでいっぱいいっぱいの嫁と口ゲンカをして家を飛び出して、

吉祥寺のスタバにいる。

 

休日の数時間だけ、子守をしたりはするが、それだけで気が滅入ってしまう。

 

平日5日間、四六時中、子供から目を離すことが許されない嫁の大変さは、

やっぱり想像しきれていないのだと思う。

休日の数時間を何十倍にしてもきっと足りないのだ。

 

相手の立場になりきることは難しい。というか、不可能。

ということが少し分かった。かもしれない。